10月9日付「キラーストリート」の続き

KAMAKURA

KAMAKURA


さて、先日のサザン新譜の感想の続き。
それなのになぜいきなり「kamakura」なのかといえば、
「20年ぶりの2枚組オリジナルアルバム」との触れ込みで
この作品の名がしばしば登場するからである。
うっわー、あれはもう20年も前になるのか・・・。
そういやLP盤を買ったよな、CDが出たのはこの後だった・・・。
元々、大好きに輪を三つかけるくらいにお気に入りのアルバム、
懐かしくなって聴きなおした。
キラーストリート」と比べて、どんなふうに感じるだろうか、と。
そしたら、そしたら。
ものすごく衝撃的だった。がーん!ときた。
すごかったし、素晴らしかった。
緊張感、叙情性、実験的な音の数々、とにかく瑞々しい。
的外れな言い方かもしれないが、こんなアルバムを作ってくれて
ありがとうございます、と感謝したくなった。
「サザンはこのアルバムまで」と公言してはばからない人もいるけど
ファンのわたしでさえ納得してしまう部分がある。
他方、当時は彼らの音楽の変貌振りに驚きの声があがったものだった。
ビートルズの「ホワイトアルバム」を意識して作られたとのことだけど
わたしは、ビートルズなら「リボルバー」とか「サージェント・ペパーズ」に
似た印象を受ける。
驚いて何回も聴きなおしたくなる、そして繰り返し聴いても飽きない。
たしかに「ホワイトアルバム」みたいに曲調はバラバラだけど
kamakura」にはちゃんと統一感があるのだ。
そして。
それなら「キラーストリート」はどうか、と考えてみると
ホワイトアルバム」といえないこともないけれど、
やっぱり「アビーロード」みたいだと思う。
とても丹念に作られた、素晴らしい出来栄えのアルバム。
でも、衝撃的とはいえない。あくまでも安心感、安定路線。
すごい!ではなくて、いいよね〜これ、って感じかな・・・。
別の言い方をすれば、これまでの集大成的作品。
で、これがくせもの。そこはかとなく「お仕舞い」を匂わせるのだ。
アビーロード」は本当にそう。最後の勢いを感じてしまう。
悲しいけれど、わたしは「キラーストリート」にもそれを感じてしまった。
寂しいなぁ・・・。
今回の桑田さんのライナーノーツをみてもわかるように
サザンオールスターズ」というバンドは、
すでにそれだけでは機能しなくなっている。
鮮やかな多彩な音は彼ら以外の、たくさんのミュージシャンの手からなる。
サザンだけどサザンじゃない、この切なさ。
ずっと前からわかっていたことだけど、今度ばかりは身にしみている。
でもね、価値あるアルバムだと思うよ。
ボリュームあるけど(有り過ぎ?)、みんなに聴いてほしいな。


おお、今日は何だか長くなってしまった。それでは閉店〜♪